昔の相場の学び方は、
相場学、相場術、相場道の三種類に分けて進められることが多かった。
相場学とは一般教養のようなもので、
景気と市場の関係や企業の価値などを経済学的な見地から学ぶことだ。
相場術は羅線などから値動きの定石を学び、
具体的な売買の精進をすることだ。
理屈と実技を学び、
ある程度経験をつめば免許皆伝なのはクルマの免許や他の習い事と同じだが、
実際に売買を繰り返して稼ぐことが出来なければダメなわけで、
これらすべてを達観した人がはじめて
「相場の達人」になれる。
経済学者のケインズは、相場の読みが外れたとき
「相場が間違っている」と語ったが、
ジョージ・ソロスは
「市場はいつも間違っている」と答えている。
相場学や相場術の限界なのだ。
「相場は相場に聞け」とは、
自分の都合良い相場を待つのではなく、
リスクをとって積極的に相場にアプローチしていくことだ。
リスクとは自分がそのトレードで失っても惜しくない資金のことで、
リスクをとる理由を明快に述べられなければ見送るべきなのだ。
相場の世界で、見栄を張る・意地を張る・欲を張るが
厳禁なのはそのためで、
誰もがそんなことはわかっているのだが、
守れないのはこの三つを、
トレードに失敗したときの理由として残しておきたいからなのだ。
これは劣等感に近い心のエゴで、
せっかく学んだテクニカル分析やファンダメンタルの知識が
これらの心理を擁護する。
この壁を越えなければ、
澄んだ目で相場を見ることは出来ないのである。
相場の達人は、
投資情報や周囲の反応が揃っていなくても
荒々しい相場に乗り出してゆく。
トレードを重ね精神と体力の両面で鍛えると、
ほとんどの相場展開に対応できるようになれる。
一流の職人は、目に哲学があり、手に技があると言われている。
「相場は相場に聞け」とは、
五感を総動員して相場と向き合う姿勢を示している。
読者の多くは「100年に一度」と言われた
恐怖を生き抜いた投資家だと言える。
自信をもって相場に挑んでみるべきだ。