争うものがない者には
争い得る者はいない。
長江やその先の海が、すべての河谷の王であるものは、
それが百谷の下流にあるからである。
こうして、王となり得ている。
このために、聖人が、民の上にあろうとする欲するなら、
必ずその言葉は、民へへりくだらねばらない。
その民を先導しようと欲するなら、
必ずその身をその後に置かなければならない。
そうすれば人々は、先にいても害があると感じないし、
上にいても重いとは思わない。
天下、皆、楽しんで、喜んで推し、
自分たちの指導者として頂いて、嫌がることがない。
これは、彼が争うことがないからではないどうか。
それゆえに、天下にこれと争い得る者はいない。