町田市図師町にあるお寺です。
傾斜面にある為、日当たり見晴らし共に最高です。
円福寺は、聖翁(寛永7年1630年寂)が開山となり、元和年間(1615-1624)に創建したといい、江戸幕府より寺領4石6斗の御朱印状を拝領したといいます。
新編武蔵風土記稿による円福寺の縁起
(上圖師村)圓福寺 字半澤にあり、寺領四石六斗の御朱印を賜ふ、是も前と同宗にて同末寺(曹洞宗、小山田村大泉寺末)なり、眞峯山と號す、本堂十間半に六間、南向なり、本尊釋迦木の坐像、長一尺ばかり、開山聖翁寛永七年正月廿六日寂す、當寺に不動の像を安ず、靈像なりとて厨子に堅くおさめて、住僧といへども妄に拝することを得ずと云へり。
(新編武蔵風土記稿より)
「町田市史」による円福寺の縁起
円福寺(図師町) 所在地 町田市図師町半沢三三〇一。 宗派 曹洞宗、町田市下小山田町大泉寺末。
山寺号 真峯山円福寺。 開山 僧存祝。『風土記稿』には「開山聖翁、寛永七年(一六三〇)正月六日寂す」とある。
皇国地誌に「元和年間創建」とあるから、聖翁と存祝とは同一人であろう。
朱印 四石六斗。 本尊 釈迦座像、長一尺。 本堂 『風土記稿』に、「十間半六間南向」としてあるのは明治三七年崖崩れにて倒壊、大正二年現本堂を再建した。
六間半に六間、木造寄棟亜鉛葺。玄関本堂と庫裡との間にあり、奥に一二坪半の応接間をつくる。
庫裡 明治年間の建築。六間四面、二階建蚕室造り。木造亜鉛葺。 本尊のほかに不動像がある。
『風土記稿』に「霊像なりとて、厨子に堅くおさめて、住僧といへども、妄に拝することを得ず」とあるもの、寺では「明けずの不動」とよんでいて、いまもみせない。また、境内には聖護院別当道興准后の、「水なかば沢辺をわくやうす氷」の句碑がある。
檀徒井上武建立した。
(「町田市史」より)