助言するのが最も得意だったのは21歳の時だった。誰も私の話を聞かなかった。
人生は定めではなく変化だ。
なのに私たちは目先の不運や挫折を定めのように感じ、
落ち込んだりあきらめたりする。
バフェットは、目先のことに一喜一憂する愚かしさをこう戒めている。
「私が他人にお金のことで助言するのが最も得意だったのは、
21歳の時だった。誰も私の話を聞かなかった。
どこかで立ち上がってすごく賢いことを言っても、たいして注意を払われなかった。
今は世界一愚かなことを言っても、そこに何か隠れた重大な意味があるとみんなが考える」
21歳の頃、バフェットは父ハワードが経営する証券会社で株の売買を行っていた。
すでにコロンビア大学でグレアム薫陶(くんとう)を受け、
1万ページもある『ムーディーズ・マニュア』を読み込んで知識を蓄えていたが、
無名の若造バフェットの勧めめる株を買う人はごく少なかった。
26歳の頃は、かつて「ワン・ストライク」と言われた投資家ルイス・グリーンから
「こんな若造」「バフェットと相乗りしたいやつがどこにいる」
などと罵られてもいる。
それが、今やバークシャー・ハザウェイの株主総会には、バフェットの話を聞くために
世界中から人が押し寄せる。
バフェットに相乗りすれば大金持ちになれると誰もが信じ込んでいる。
世間とはそいうものなのだ。
バフェットは、移ろいやすい世間でなく自分自身を信じることで大富豪になった。