アシュタールからのメッセージ117

ミナミAアシュタール

自由になるために

こんにちはこうしてお話しできることに感謝します。

あなた達には、たくさん”~~ねばならない”

があって大変ですね。

たくさん”~~ねばならない”があるからたくさん罪悪感が生まれるのです。

正し生き方は、こうでなければならない‥

人には優しくならなければならない…

親の言うことをよく聞いて親孝行をしなければならない…

~~~~~~~ねばならない‥のオンパレードですね。

どうしてこんなにたくさん”~~~ねばならない”があるのでしょうか?

たくさんありすぎて、

どこからお話ししていいか‥迷いますが、

例えば、親孝行しなければならない…

ということについてお話しましょう。

親は自分を育ててくれた大切な人なのだから大切にしなければならない‥当たり前のことです。

わざわざ人に言われることではありません…

しかし、ここに大きな問題があります。

その親孝行のモデルケースです。

これが親孝行なのですよ…

というモデルケースが造られそれに合わないことはダメです‥

とされていることです。

年老いた親を背負い、優しく声をかけ常に側にいて何から何まで世話をする‥

これが親孝行なのでしょうか???

こんなことしていたらどちらもつらくて仕方がないでしょう…

親は、自分で出来ることまで年を取ったからという理由で取り上げられ、

年を取ったならば年よりらしくしていなさいと刷り込まれ、

子供は親のために自分の自由なことも出来なくなる!

このような道徳観を持っていると子供は自分の好きなことをすることに罪悪感を感じるようになってしまいます。

親を大切にするのは当たり前のことです。

でも、そこにモデルケースはいりません。

親も変なモデルケースに惑わされてしまうと子供をしばりつけコントロールすることになってしますのです。

これは、お互いにとっていい関係ではありません。

形だけの道徳とよばれるものに従う必要はないのです。

そこに愛があれば、人に言われなくても親を大切にします。

反対に”~~ねばならない”で動いてしまうと義務感になってしまいます。

義務というのは、強制です。コントロールです。

人は強制されるとハートが拒否するのです。

人は本来自由であることをハートが知っていますから強制、コントロールというものにはハートがとても嫌がります。

何が言いたいかというと‥

同じことをしてもハートが喜んで自分の意志でしているのと、

義務感(強制、コントロール)されているとでは全く違うことになってしまう…ということです。

何故、道徳などというものがあるのでしょうか?

それはあなた達の社会が”愛”とかけ離れているからです。

”愛”に満ちた社会では当たり前のことですので、

いちいちそんなことを誰かに言わることもいう必要もないのです。

本当に親孝行したかったら愛は、楽しさ、自由、喜びです。

まず、あなたが自由になってください。

好きなことをして楽しんでください。

そうすればあなたの中に”愛”があふれてきます。

”愛”にあふれた人は誰に言われなくても親(人)を大切に出来るのです。

”愛”するのは誰かではなくてまず、あなた自身です。

あなた自身があなたを愛しいれば全ても存在に愛を贈ることが出来るのです。

愛は、義務感から出てきません。

そして人大切にすることは依存させることではない‥ともう一度言わせてください。

言葉の壁ですね…

お話ししたいことが伝わっていますでしょうか?

言葉を表面だけをとらえずにエネルギーで読んで頂ければ嬉しいです。

あなたに愛をこめてお伝えします。

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