【曹洞宗系単立三輪山廣慶寺】

田んぼの中に佇む神秘的なお寺でした。西谷戸横穴墓群の隣にあり古代から受け継がれた歴史ある名所でした。廣慶寺は、円福寺第二世最安和尚(天正12年1584年寂)が開山となり創建したといいます。

参拝の様子は下記をご覧ください。

https://youtu.be/HBWlomSihuc

新編武蔵風土記稿による廣慶寺の縁起

(三輪村)廣慶寺 字西谷にあり、曹洞宗、橘樹郡作延村圓福寺末、三輪山と號す、開山最安和尚は本山第二世の住僧なりと云、天正十二年九月二十六日化す、本堂八間に五間半、本尊釋迦木の坐像長八寸ばかり、この餘観音の像一體あり、岩に腰うちかけたるかたちなり、蠟石にてつくれり、長七寸ほど、天竺より傳来の像なりと云傳ふ。 天神社。本堂に向て右の方にあり、わづかなる祠也。(新編武蔵風土記稿より)

「町田市史」による廣慶寺の縁起

広慶寺(三輪町) 所在地 町田市三輪町字西谷。 宗派 曹洞宗、川崎市作延円福寺末。 山寺号 三輪山広慶寺。 開山 僧最安。本山二世という。天正一二年(一五八四)九月二六日示寂。 本尊 『風土記稿』には「釈迦木の座像八寸ばかり」とあり、明治初年よりは薬師。現住に至り観音に改めた。 本堂 昭和四六年一〇月修築。間口六間半、奥行六間。向拝二間半に一間半唐破風をつく。瓦屋根入母屋。 庫裡 木造二階建四〇坪。昭和四五年一〇月新築。 寺由来 本寺は、田圃の向谷戸にあったのを現在地に移建したもので、昭和四六年修築の際の棟札によると、文化四年(一八〇七)一月二八日とあるから、この時の移建と考えられる。また、現本尊、観音像は世継観音とよび、『風土記稿』に「岩に腰うちかけたるかたちなり蠟石にてつくれり。長七寸ほど、天竺より伝来の像なりと」としてある像である。 清浄院薬師像 現住以前、本尊としてあった薬師像は、小野路清浄院の本尊で長二尺、明治五年入手したものと伝える。(「町田市史」より)

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