首から下で稼げるのは一日数ドルだが、首から上を働かせれば無限の富を生みだせる
エジソン(1847~1931年)といえば、
むかしから偉人伝の定番で、
蓄音機や電話機ななどを発明したことで知られている。
伝記の中ではエジソンは、
好奇心旺盛な少年が独学で勉強して、
失敗を重ねながら世界の発明王になるまでの姿が描かれていたが、
米国証券史に登場するエジソンは、J・P・モルガン・グループの一員として、
発明の商品化に没頭せざるを得なかった当時の姿が描きだされている。
当時のモルガン商会は「金融の薬剤師」と評されたチャールズ・ヘンリー・コスタ―がモルガン財閥の金庫番を務め、モルガン財閥が買い集めた企業は430社を超えていた。
エジソンが創業したゼネラル・エレトリック(GE)社もそのなかの1社で、
GEがモルガン・グループの傘下に入ったのは1880年代後半のことである。
GEはダウ平均株価を算出する構成銘柄のなかで、
集計当初から残存する唯一の企業で、
歴代CEOのなかには20世紀最高の経営者と評されたジャック・ウェルチがいる。
エジソンが研究開発を続けるためには膨大な資金が必要で、
発明品の商品化による売り上げ確保と証券市場からの資金調達が不可欠だった。
これらの活躍を全面的に支援したのはモルガン家のベンチャー企業群を統括していたイメージスト・P・ファブリで、
ファブリは数学者にして経済学者の肩書を持つ冷徹な男で競争で次々に飲み込んで価値がなくなると容赦なく切り捨てたことで知られている。
そのためエジソンはノルマ達成のためにウォール街で使われる「電子相場表示機」などを開発する。
GEがグループのな生き残るためには「1%のひらめきを99%ンの努力で商品化する」ことが絶対条件だったのである。
モルガン家にとってエジソンは金の卵を産み続ける一羽の鶏にすぎなかった。
今日、エジソンに相当する金の卵といえば、
アップル社のスーティブン・ジョブズやマイクロソフトのビル・ゲイツになるだろう。
歴史は繰り返すとはこのことだ。