金儲けは株に限る、株は運と気合いだ
「気合いだ!! 気合いだ!! 気合いだ!! ~」の掛け声で一躍お茶の間の人気者になったのはアニマル浜口さんだが、「運と気合い」の株買い占めで億万長者になったのが若尾逸平だ。
若尾逸平 (1820~1913年)葉タバコや真綿の行商人から横浜で生糸貿易の商社を起業した実業家で、
後に為替取引や株式相場の成功で甲州財閥の開祖と評された人物だ。
若尾が鉄道株の買い占めを行ったのは明治25(1892)年のことで、
そのころ甲州には、
若尾の東京鉄道・雨宮敬次郎の甲武鉄道・根津嘉一郎の東武鉄道を経営する3人の「鉄道王」がいた。
なかでも先駆者である若尾の権力は絶大で、
国防上の理由から明治39年に「鉄道国有法」が制定されるまで、
関東の鉄道網のほとんどは甲州財閥の支配下にあった。
若尾は72歳の高齢で鉄道株の買い占めをはじめたが、
90歳を過ぎても相場に対する執着心は衰えることがなく、
没する直前まで兜町の情報を集めていたといわれている。
このとき若尾の手足となり買い占めの最前線で動いたのは小池国三商店で、
この証券会社が後の山一証券である。
山一証券は1997年の経営破綻で消滅したが、
創業者の小池国三(1866~1925年)も甲州相場師の一人で、
12歳から若尾家の丁稚として若尾逸平に仕え、
「山一」の社名は若尾家の家紋に由来する。
すなわち山一証券はもともと若尾や甲州財閥の面々が好き勝手に相場を張るために設立された証券会社なのである。
作家の荒俣宏は「もともと甲府は荒っぽい渡世人や切り合いが大好きな武士が多いので、
甲州の人間は相場師や投機家の才能に恵まれいた」という。
甲州の相場師が運と気合いで相場を張るのはこのような風土がは育んだものだが、
マネー誌などに登場する億万長者になった投資家で「なんとなく勘がは働いたので気合いを入れた買ってみたら、
運よく当たりました」という記事がのっているが、
残念ながら運も勘も本来は積み上げられた知識あってのひらめきでなければ長続きしないのである。
現在は甲州の相場師のように力任せで相場を張る時代ではないが、
気持ちが常に真剣勝負でなければ思わぬところで大怪我にする。
自分の甘さを運の悪さで片付けてはいけない。