ケチと浪費は紙一重
ケチと浪費という大阪あたりで生まれた金銭訓のようだが、
これはダンテの『神曲』の地獄篤・第四圏にある一筋で、
悪の富神であるプルートが唸っている辺獄で、
そこにはケチと浪費者だけが住む世界が描かれている。
この2組の人々は、
お互いの行為をののしり合いながら反対方向にぐるぐる回っているのたが、
ダンテは金銭欲にとりつかれた人々は休息はないと説く。
ケチとは浪費は正反対のようだが、
いずれも節度を超えたカネの使い方でこの二つは紙一重なのだ。
マーケットも地獄篤と似たようなもので、
例えば信用取引の使い方だ。
世間でこれだけこわいコワいと言われながら、
投資家に不思議な魅力を感じさせるのは、
うまくいけば地上に戻るどころかイッキに天国の最上階まで駆け上がることもできるからだ。
一昔前のように証券会社のセールスマンの口車に乗せられたのなら、
神様も少しは手加減してくれるかもしれないが、
自信たっぷりの投資家が借金をして失敗すれば自業自得というものだ。
ちなみにダンテの描いた地獄は9つの世界があるのだ。
「初心者や資金の少ない人でもはじめやすい」という業者の広告は簡単に儲かるという意味ではない。
サラ金ではないが、
くれぐれもご利用は計画的に。
さて、このような投資家や貯蓄に対する戒めは、
古今東西いたるところに書かれていて、
例えば江戸時代の石田梅岩(1685-1744年)が創始した心学では、
柔順・清潔・不妬・倹約・恭緊を六徳としている。
六徳は寺小屋に通う子供たちを対象にした講義録だが、
六徳の目的は「心おごらず、心を引き締める」ことにあり、
梅岩はこの六徳を学ぶそれぞれの段階で、
金銭観といかし方を会得させる。
例えば、周囲に対するケチは、
自分の贅沢に通じるとして、
欲を慎むことにより金銭は自然と増えるものだと説く。
いささか古臭いテキストだが、
こうした考え方は社会全般にいえることで、
給食費の未納など子供に説明しにくいお金の使い方をする大人も増えている。
動機が不純で金が残ることはない。