三十五の十八、五五の二十
アンドレ・コストラニィ(1906-1999年)は、
戦前戦後を通じて相場を張り続けたハンガリーのブダペスト出身の相場師だ。
今日のハンガリーは金融危機の土檀上に立たされているが、歴史的に見るとこの国は穀物や株式などの投機の盛んな国で、
街中が市場の活気で満ち溢れていた。
子供のころから相場の町で育ったコストラニィは、高校生になると生徒を代表して相場を張り、
稼いだ資金を百貨辞典などの購入費用にあててプロの投機氏になったコストラニィは、世界恐慌で冷徹な「売り将軍」として莫大な利益を上げ、1930年代中頃からのニューディール政策による景気回復期では方針を大転換して「強気の投機筋」として名を馳せた。
パリ、ロンドン、ニューヨークと、世界中のマーケットを相手もしたことでも知られ、
戦前の日本では欧州の大物投機師として紹介されている。
ブダペスト生まれの相場師といえばジョージ・ワシトンが有名だが、
コストラニィはその大先輩にあたるのだ。
自伝に「長期戦に出る投機師は行動範囲を自分で決め、
その領域内に厳重に閉じこもっていること」とあるように、
昔からこの地域の投機師は、波乱の時代になると姿を現してな莫大な利益を収める、
市場にとって極めて不気味な存在だった。
この名言は、コストラニィの『大投機師』に収録されているもので、
日本では「理外の理」や「行き過ぎもまた相場」と同様の意味に使われている。
相場の本質をこのような数式を用いて説明した事例は数ある名言集にもほとんどなく、
生涯を通じて言語や国境の壁を超えて全世界の市場で相場を張ったコストラニィらしい名言だ。
コストラニィは「相場というものは世間のありとあらゆるもの、極端に言えば、その日の天気やあなたの気分までも織り込んで動いてるのである」と相場の原理を語る。
大学で金融理論を学び、百科事典の購入代金を稼ぐためだった知性派はならではの名言ではないだろうか。