バラを切るごとく売るべし
日本では本格的な為替取引がはじめられたのは明治5(1872)年のことで、
当時、横浜では「天下の糸平」こと田中平八(1834-1884年)や「投機界の魔王」とよばれた雨宮敬次郎(1846-19111年)といった横浜組の洋銀相場師が、
欧米の外為ブローカーを相手に大相場を張っていた。
そのころ横浜の外国人居溜区にはモルガン商会など、
ロスチャイルド系の金融財閥の面々が暮らす洋館があり、
日本の相場師たちも頻繁に出入りして海外の投資法を聞き出していた。
からは商談の最中に庭園に花咲かせた自慢のバラを指差して「バラも相場も八分咲きでスッパリ切るのがよい」
も言ったのだろうか。
横浜山手の「港の見える丘公園」にあるローズガーデンでは、
各国の名花が育てられ観光名所となっている。
当時のバラを調べてみると1868年にフランスで出作されたバラに「バロネス・ロスチャイルド」というオールドローズがあった。
バロネスとは男爵夫人のことで、
気品高く優雅で強い香りが特徴だ。
1868年と言えば明治維新の年で、
日本の相場師たちが出会ったバラに含まれていた可能性は十分にある。
昨今は株式や為替相場でバロネスのような大輪を咲かせるのは容易なことではないが、
相場師で一番花咲かせるために学ぶべきは彼らの相場哲学だ。
あるロスチャイルド系の相場師は「年間通じて相場を張る3か月で、後の9カ月は、ポジションをゼロにして稼いだカネで優雅に暮らしている」と語る。
また、スイスの金融マフィア「チューリッヒの小鬼」は、
マネーの公理のなかで、
「モノに愛着を持つと、必要が生じたときに素早く行動する起動力が低下する。
値を下ろしてしまうと、
あなたの投機家としての効率が著しく低下する」として、
投資対象に愛着を感じることを禁じている。
日本では昔から花見の桜を例えに「利食い八分、損は二分」(八木虎の巻)、
「七、八歩にて仕舞うべし」(商家秘録)を売買の鉄則とする。
花を切り、根を断つことで、次々と新しい花が咲くのである。