木を見て森を見ず 森を見て木を見ず
株の入門によくある「株ってなに?」という見出し。
あらためて「株」の語源を調べてみるとこれがよくわからない。
『広辞苑』によれば、植物の「株分け」に由来する商家の営業特権のことで、
「株仲間」は今日の株式投資のルーツに相当する「株式(証券)」の売買を仲介する組織、
というような意味のことが書いてある。
竹越与三郎氏『日本経済史』(平凡社)によると、
「株」の語源は樹木の「切り株」のことで、
むかし農夫が薪にするために裏山の樹木切り倒して、
春になって再びその木を見に行くと、
自分の切り倒した木から枝が何本も生えていたことから、
商家もこのように呈しくあるべきだという戒めから「世業」(先祖から受け継いだ職業)のことを「株」と呼ぶようになったという。
どちらも一理あるのだが「株分け」と「切り株」の二説があるのは、
農業と林業では発想が異なるからだろう。
林業といえば昭和40年代に一世を風靡した仕手集団の「吉野ダラー」を思い出す。
吉野ダラーは、奈良県は吉野山の地主たちが特産の吉野杉を売却した利益で株の買い占めを行った事件で、
片倉工業や大和ハウスなどの株が買い占められた。
彼らは山林の杉を次々と切り倒し株券に変えていったが、
海外から安価な木材が輸入されるようになり、
この仕手集団は自然消滅した。
これが昭和の「株盗り物語」である。
この格言は見方を説くもので「木を見て、森を見ず」は、
個別銘柄の値動きに気を取られて相場全体の流れを見ないこと。
「森を見て、木を見ず」は、その逆で、
市場の雰囲気に押されて、個別銘柄を見失った状態を指している。
重箱の隅をつつくように『四季報』をながめることが、
銘柄探しとカン違いしている投資家も多いが、
じつはこれが大失敗のもとで、
仕手株情報や新製品の話題などは、じつは「葉っぱ」程度の価値しかないのもだ。
昔から本気で山林を売買売る人は、まず離れたこところから森眺めるだけで、
木の良し悪しを判断することができた。
初めから一本一本眺めていたら日が暮れてしまうのである。
相場も同じことで大局から詳細に移るものが道理なのである。