人よりも一尺高いところから物事を見れば、道は常に幾通りもある
土佐の坂本龍馬(1836年~が日本で初めて貿易会社となる亀山社中を
設立したのは慶応元(1865)年のことで、亀山社中を再結成したの
が、かの有名な海援隊の「家規」によると、龍馬が考えた事業内容は
「運輸・射利・投機・開拓・本藩の応援」である。「射利」とは利益
を得るためにあらゆる機会を生かすことで、「投機」とは価格変動を
とらえた利益獲得である。また「夕顔丸」で記した「船中八策」のなかで
「金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ説クキ事」と偽替についても触れている。
商才に長けた龍馬ならではだが、昭和期の経済評論家、勝田貞次によると、
優れた投機家になるためには、①頭と手が同時に動く、②人気に敏感で
値動きを洞察できる、③勇敢で初志貫徹できる、④腹が座っている、
⑤思い切りがよい の5つの素養が必要だという。いずれも龍馬の
性格がそのものだが、過去の龍馬のブームは、日露戦争や大正デモクラシー
などで日本中が動揺したときに起きている。 土佐 人は龍馬にかぎらず、
どのようなことでも白黒つくまで徹底的に議論する。龍馬が生きていれば、
デフレ不況の日本にどのような処方箋を出すのだろうか。
龍馬はご先祖様は戦国時代の戦乱を避けて 土佐 に流入してきた曲型的な 土佐
商人で龍馬の本家の「才谷屋」は質屋・酒屋・金貸しを生業としてきた豪商だが、
龍馬の世代が段藩して中央に出るまで他国に出たことがない保守的な商人だったのである。
金と力はあるが所詮は狭い藩中の中での話で伸びわない。龍馬の言う「人よりも一尺
高いところから物事を見る」とは、こうした閉塞感を突破するためのもっとも簡単な
処方箋だったのである。龍馬の志を引継ぎ、海路によって視野を広げた石崎弥太郎は
海運・偽替などの事業で三柴財閥の基礎を一代で築きあげている