集団の中から飛びぬけた投資実績は生まれてこない。
バフェットは師を募って、グレアムが教鞭をとるコロンビア大学で学んだあと、
1954年グレアムの経営する投資会社グレアム・ニューマンに就職した。
だが56年に同社が解散、バフェットはオマハに帰り、
1人でパートナーシップ(投資組合)を立ち上げている。
当時、地方の証券会社は非力であり、
金融界で成功したい人間がウォール街を離れることはあり得なかった。
バフェットの行動は成功のチャンスを自分から捨てることだった。
しかし、そんな常識をバフェットはみごとに覆す。
57年にバフェットのパートナーシップに投資された1万ドルは、
69年には26万ドルとなったのだ。
経済誌『フォーブス』は、「オマハはいかにしてウォール街を打ち負かしたか」
という記事を掲載して賛嘆した。
なぜバフェットは地方の小都市オマハで成功を収められたのか。
なぜウォール街は彼ほどの成果を上げられないのか。
原因はウォール街の横並び意識にあると、
バフェットは指摘した。
「同業者が行えば、企業は無意識に追随する」
「たぶん私の偏見だろうが、集団の中からとびぬけた投資実績は生まれてこない」
バフェットの成功は、ウォール街から遠いオマハで開幕したことも一因だった。