1分間バフェット 自分が理解しているなら、人が理解できるように表現できるはずだ。

バフェットはたくさんの資料に目を通す。

目をつけたライバル企業の年次報告書を読み、

次にライバルの企業を年次報告書を読む。

こうした作業の中で価値を知り、

投資に値するか同化を判断する。

とはいえ、中に難しくてなかなか理解できない資料もある。

そんな時、たいていの人は自分の能力不足を嘆くが、

バフェットは違う見方をしている。

「もし理解できない(年次報告書の)脚注に出会ったら、

それは書き方が悪いのかもしれません。

私だったら、そんな脚注を書く会社には投資しませんね。

出来れば理解して欲しくてないという会社側の姿勢が、

行間から透けて見えるからです」

バフェットはバークシャー・ハザウェイの年次報告書を書く時、

「会社の半分を保有し、かつ一年中旅行している『姉』に

 事業の内容を説明するつもりで書く」という。

「姉」はビジネスオンチではないが専門家でもない。

そういう人が読んで理解出来るのなら、

多くの人にとってもわかりやすく読みやすものとなる。

では、そうした年次報告書を書くために必要なのか。

「どんなことであれ、他人が理解できるよに表現できるはずです」

他人に何かを伝えるためには、自分自身がしっかりと理解していることが

必要だ。

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