上鶴間金山神社
金山神社は、相模原市南区上鶴間本町にある神社です。金山神社の創建年代等は不詳ながら、上鶴間村小名中和田内の旧竹之内地区の鎮守だといい、弘化4年(1847)再興の棟札が残されているといいます。境内社の八坂社(牛頭天王)は慶応3年(1867)の勧請、大六天社は文政8年(1825)の勧請で他所より当社へ遷座したものだといいます。
さがみはら風土記稿による上鶴間金山神社の由緒
上鶴間中和田地区の金山神社は、境川にかかる上鶴間橋にほど近いところにあります。この橋はもともと1本の木で作られた橋だったので「一本橋」と呼ばれていました。そのため橋のたもとに発展した商店街を「一本橋商店街」といい、金山神社はこの商店街をも含めた町内の鎮守となっています。
しかし、その創建は意外と古いようで『風土記稿』を見るとすでに「金山明神社」として記録されており、また、弘化4年(1847)再興の棟札が残されています。当時の集落はもっと段丘寄りにあり、このあたりは水田か畑であったようなので、この神社は人家を離れてポッリと建っていたのでしょう。
境内には2社が合祀されていますが残された棟札を調べてみると、慶応3年(1867)に牛頭天王を勧請しているのでこれが八坂神社であることがわかります。八坂神社の祭神は素戔嗚尊、つまり神仏習合でいうと牛頭天王のことです。また、もう1社には文政8年(1825)の棟札が残されています。これは第六天社で、戦後、別の場所からここに移されてきたものです。
境内には大きな木がほとんどなく、殺風景な感じもしますが、近年立派な社殿が完成し、地域の人々にも喜ばれています。(「さがみはら風土記稿」より)
境内掲示による上鶴間金山神社の由緒
当神社は谷口第一町内(旧竹之内)の鎮守様で創建は不明であるが、相模風土記には金山大明神と記されているので意外と古いようである。弘化四年(一八四七)再興され、棟札には時の地頭、大岡数馬の武運長久と記されたものが残っている。さらに明治十六年に再建され、その棟札によると当時の氏子二十名の氏名が書いてある。
昭和七年と三十八年にも大改修された。平成になってご造営の気運が高まり平成二年八月に現在の社殿が竣功された、
金山神社は鉱山、金属加工の守護神と言われてきた。又一説には縁結び、子宝の神とも言われている。昨今では富と福を授かる神として信仰を深めている。(境内掲示より)