殺によって民を支配するなら、
その惨禍は自分に
降りかかってくる。
もし民が、死を畏れなかれば、
殺をもって脅すことなどできない。
しかし実際にはそういうことが可能であるから、
民は死を畏れている、ということになる。
もし民が、常に死を畏れるからといって、
殺をもって脅すような政治をする者がいれば、
それこそ、私がこれを捕まえて殺してしまおう。
そうすればそんな政治をする者はおるまい。
もし民が、常に必ず死を畏れるというならそれは、
常に殺を司る者がいるということ、
すなわち、人の死命を決定する目には見えない天の差配がある、
ということを意味する。
もし殺を司る天の差配になりかわって、
人為的に人を殺せば、
それは木こりの名人に代わって樹を伐るようなものだ。
そもそも、木こりの名人に代わって樹を伐る者で、
自らの手を傷つけないものはない。
殺によって民を支配するなら、
その惨禍は自分に降りかかってくる。