大きなことを為さないから、
大きなことを成せる。
道に沿って生きる者は、
漂っているかのようであって、
何にも拘束されず、右にも左にも動くことができる。
巧を成しつつ、事を遂げて、
しかもその功績は認識されず、名付けられもしれない。
万物が帰順しても、その主となることはない。
そうして常に無欲であって、
そのありさまは「小」と名付けられるべきだ。
万物が帰順しても、その主となることはない。
そのありさまは「大」と名付けられるべきだ。
こういうわけで、聖人が大きなことを成すのは、
大きなことを為さないからである。
それゆえ、大きなことを成す。