不変の真理を身にまとう。
天下にはその始原ある。
これを天下の母とするなら、その母を体得すれば、
その子、つまり天下に生じる万物を知得できる。
その子を知得した上で、またひるがえってその母を見牛わない。
そうすれば死ぬまで危ういことはない。
知覚を塞いで、外界との門を閉ざしてしまえば、
一生、何もしないで終わる。
とはいえ、知覚を啓き、外界の物事に忙しく取り組むのなら、
一生、自分自身と出会わないで終わる。
そのどちらも、おかしな生き方である。
知覚を啓きながら、知覚では捉えられないものを受け取り、
外界に門戸を開きながら、無為を貫き、無事でいる。
そうすれば自分自身と出会いつつ、成長し、事を成すことができる。
目に見えない小さなものを見ることを「明」という。
かすみな柔らかなものを守ることを「強」という。
その光を用い、その明に復帰する。
そうすれば、身に災いが降りかかることもない。
これを「不変の真理を身にまとう」という。