聖人は自分の存在を
誰にも意識させない。
聖人は常に無心であり、民百姓の心を自らの心としている。
善なる者はこれを善とし、
不善の者はこれを善しとする。
なにごとであれ、善とするが、聖人の本質だからである。
言葉と心が一致する者は、これを信じ、
言葉と心が乖離する者は、また信じる。
誰であっても、信じるのが、聖人の本性だからである。
聖人の天下にあるさまは、
柔らぎを楽しんで、心が天下と一体となっている。
民百姓はみな耳目を注ぐが、
聖人は自分の存在など、
誰にも意識させないようとしている。