老子名言 10月14日

特にすぐれた人は、「自分に徳がある」という自覚がない。

特にすぐれた人は、

「自分に徳がある」という自覚がなく、

それゆえに真の意味で有徳である。

見かけだけの徳の人は、

「自分に徳がある」という自覚を離れることができず、

それゆえに無徳となる。

特にすぐれた人には、作為がなく、意図もない。

仁にすぐれた人には作為があるが、意図はない。

義にすぐれた人には、作為があり、意図もある。

礼にすぐれた人は、自分が礼儀正しくしているのに、

相手が応じなければ、肘をまくって怒り、相手を促したりする。

ゆえに、

道の作用の具体的な表現として徳が出現し、

徳の作用の具体的な表現として仁が出現する。

仁の作用の具体的な表現として義が出現し、

義の作用の具体的な表現として礼が出現する。

礼は、忠信の表現であり、乱の前兆でもある。

なぜなら、自らに忠実なる者がいると、

俗人が大騒ぎするからである。

この乱を通じてはじめて、秩序が形成される。

忠信によらず、

賢しらな知識を用いてものごとを予見し、

乱を避けようとする態度は、

道に叶わない見せかけであり、愚の前兆である。

これゆえに自らをしっかりと保つ人は、

その本質に依拠し、その見せけには依拠しない。

ゆえに後者を去って、前者を取る。


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