バフェットが子供のころから始めたビジネスはなかなか多彩だった。
一家が湖近くの山荘を借りて休暇を過ごした6歳の時は、
缶コーラを6つを25セントで買い、
それを湖で1缶5セントで売っている。
5セントの利益があっった。
オハマに帰ってからは祖父の雑貨屋で仕入れたソーダを売り歩いたりもした。
お金がなかったわけではない。
大恐慌の直後こそ父ハワードは職を失い、
立ち上げた証券会社の顧客開拓に苦労したが、
バフェットが6歳の頃には経済状態は好転していた。
バフェットは、自分の手でお金が増えていくのを見るのが好きだったのだ。
以来、競馬の予想紙発行、ゴルフ場でロスボールを集めて売る、
中古のピンボールマシンを理髪店においてもらうなどのビジネスを展開した。
子供50人を使って新聞配達を行ったこともある。
やがて農場を買ったり株の売買を行ったりと規模も大きくなり、
高校卒業の頃には1万ドル近く貯めていた。
大学卒業を頃には、それを倍にまで増やしていた。
こうして早くから蓄えたお金がバフェットの「雪の玉」になった。
「私は小さな雪の玉をずいぶん若い時から固めた。
10年遅く固め始めていたら、今頃山の
斜面のずいぶん下にいただろう」
スタートは早いがほうがいい。
ゲームの先を行けるからだ。
主導権を握りやすくなる。