罫線を覚えたころから曲が出し
罫線(チャート)の歴史を紐解いてみると、宝暦5(1755)年に牛田権三郎
・慈雲斎が著した「三猿金泉秘緑」に、「陽は陰を含む」「陰は陽を含む」の
記述があり、その解説に「長き足」「短き足」とあるので、今日の罫線の原型
となる足取り表は当時から記されてきたことがわかる。しかし、当時の罫線は
売買記録の一部であるノコギリ足やカギ足で、日本はじめて罫線に足型という
概念が登場したのは明治36(1903)年のことで、命名者は本間宇久ブームの
仕掛け人である相場研究者の早坂二菊である。早坂はコメ相場の伝統である陰陽五行
の相場解釈を株式相場に引用するにあたり、それまでほとんど無名でだった本間宇久
のブランド化や罫線予測を商品化するために過去の値動きから相場の売りと買いを易
の八掛にたとえ、陰線を青、陽線を赤で色分けして陰陽道の東洋思想を相場の
ビジュアル化するなどの工夫を凝らし独自の予測術を流行らせている。単なる売買記録の
足取りに足型という付加価値を加えたところが早坂の功績であり、商売上手なところだが、
産業草命の影響や日漬・日露戦争による熱狂相場の追い風に乗り、罫線ブームな全国規模
のものになり、日本テクニカルアナリスト協会が編纂した「日本罫線史」
(経済新聞社刊)によると、以来、市場が活況を呈するたびに、手描き用の罫線紙が大量消費
されたとしるされている。当時の罫線紙は普通紙と和紙の二種類があり当然のことながら
和紙の罫線紙は普通よりかなり割高だったが、私の知っている相場師の多くは愛用のカラス口
の製図のペンで和紙の罫線紙に日々の足取りを書いていた。2000年初頭まで兜町の
文房具屋でごく普通に当時とおなじ和紙の罫線紙が売られていたのである。星点・鋸歯・鉤型
・ローソク足と罫線の書き方は時代と共に変化したが、この格言は、罫線に夢中になることを
戒めている。生兵法はケガのもと。不思議なもので、罫線とは眺める人の気持ち次第でいくらでも
雄弁になるものだ。