財布は、その中に何か入っていなければボロきれと変わらない
メルヴィルのこの言葉は多くの名言集に収録されているのでご覧になった読者も多いと思うが、
これはジョークではなくメルビルの体験談である。
ハーマン・メルビル(1819-1891年)は、
映画『白鯨』(1956年)の原作者で、
貿易商
を営んでいた親父が事業に失敗したことから生活に困り、
20歳のころから捕鯨船の乗組員として南太平洋の島を転々とした苦労人だ。
このときの体験をもとに関せさせたのが『白鯨』なのである。
冒頭の「我が財布の中身は底をついて、加えて和絵rが心をひきつけるものはもうこの土地には何もないということになった。
海に行こう、そうだ、少しばかり船に乗って世界の海を見に行こう、そう思い立ったのはそんなときだ」
にはじまる『白鯨』は、
生前は全く売れず、陸に上がったメルヴィルはニューヨークの税関で働きながら執筆活動を続けその生涯を閉じている。
メルヴィルは海洋小説以外の作品もいくつか残しているが、
そのなかにウォール街を舞台にした『信用詐欺師』や『バートルビー』などがある。
二つの作品はカフカ以上に前衛的で難解なことから研究者の間でも評価のわかれるところだが、
メルヴィルがこれらの作品を執筆した1850年代のウォール街は、
1849年にはじまったゴールドラッシュで期待感に満ち溢れ、
米国のみならず全世界の投機マネーが流れ込んだ時期である。
当時の人気銘柄は、鉄道株や西部の鉱山株だが、
一攫千金を夢見た投資家の多くは数年後のバブル崩壊で一文無しになっている。
ウォール街でこれら投資家の喜怒哀楽を目撃したメルヴィルは「不遇はナイフのようなものだ。ナイフの刃を 掴むと手を切るが、柄を掴めば役に立つ」と語る。
日本では数年前に小林多喜二(1903-1933年)の『蟹工船』が社会現象として話題になり、
版元各社の文庫本や漫画の売り上げは130万部を突破している。
いつの時代も金に必要以上の価値観や期待感が生まれると、
別次元の貧困を生み出すことになる。
カネとは恐ろしいものなのだ。