明日もここに市場あるべし
この格言は古くからあるもので、
多くの入門書に紹介されている。
そのほとんどに「相場は明日もあるのだから焦ることはない」もしくは「たとえ失敗しても失望するな。明日の相場で取り戻せば良い」といった解説が記されていると思うが、
なにかは「確かに相場は明日もあるが、俺には明日がない」という御仁もいるだろう。
どのような解釈をするかはその人の状況や投資スタンスによって異なるが、
これらのことを冷静確認することも相場格言から得られる学びの一つなのだ。
とはいえ、たしかに相場の世界は厳しい。
一説によると今日はデイトレードやFXでそれなりの利益を確保しながら続けられるのは、
投資家全体の5%から10%ではないかといわれている。
かつて相場のプロと呼ばれたひとたちも厳しいさは同様で市場に長居をすることはままならなかった。
古い話で恐縮だが、
明治・大正期の兜町の相場師(株式仲介人)の平均寿命は1年数カ月にすぎない。
それなりの相場観と資力があっても、
ほとんどの相場師が破れて廃業するのである。
数々の規制で博打打ちのような相場師が減った昭和初期でも、
その寿命は7年前後と短命だ。
他の職業では石の上にも3年といわれるが、
ほとんどの相場師が一文無しになって消えてゆく。
それだけ相場の世界は、険しく厳しい。
政治家は選挙に当選するために「地盤、看板、鞄」の三つのバンが必要とされている。
地盤とは選挙区、看板は知名度、鞄は資金のことである。
これは当時の相場師も同様で、
なかでもカバンの中身を失った相場師はどのように手腕が優れていても、
身動きがとれなくなってしまう。
「相場師に金なきは、鳥に翼なきが如し」(ウォール街の格言)、
「ふところに金を絶やさぬ覚悟せよ、金は米釣る餌と知るべし」(三猿金泉秘録)で、
やはり好機を逃したときは資金を温存してつぎなるチャンスを待つべきだ。