利があれば何処から来るか金の蛇、われも人もと買いの行列
小説家の上村春樹さんの『1Q84』(新潮社刊)が空間のベストセラーになったが、
1984年といえば日経平均がはじめて1万円の大台を突破した年で、
それまでは投資と無縁だった多くの日本人株を買えば数日後に植えている相場の味を知ったのだ。
『1Q84』 が描くパラレルワーは、
現実を並行して存在する別次元の世界を指すが、
バブル前夜と呼ばれたこの年あたりから日本列島が投機熱に包まれ、
80年代後半には800万人もの日本人が株式投資をはじめてたいわれている。
当時の兜町の活気は凄まじいもので、
真っ昼間から腰に拳銃をぶら下げた警察官とヤクザが地上証券に出入りして同じ株価ボードを眺めていた。
かと思えばその横を紙袋に札束を詰め込んだ老婦人が老後の資金を倍増するために新しい株を買いに来るのである。
投資家の中には兜町の証券会社で売買すれば確実に儲かると信じていた人も多かったのだ。
この川柳にある金の蛇とは、
金運の象徴で蛇の抜け殻のことで、
それを財布に入れてお守りにしていた相場師を知っている。
「我も人もと買いの行列」は、
1950年代にアメリカで流行した「もう一人のバカ理論」とおなじで、
「自分がばからしい株価で買えるのは、
後ろに続くもっとバカな投資家がいるからだ」というものだ。
バカと相場は高いところが好きなのだ。
例えば、警察官がへそくりで株を買い、
それをヤクザが地上げで稼いだカネで買い取っても、
後から来る老婦人がさらなる高値で買い取ってくれるから大丈夫なのだ。
投資家の数はネズミ講のように増え、
株価は連日うなぎ上りの天井知らずなのだが市場の勢いというものは恐ろしい。
ちなにみ兜町で市場関係者が鰻や天麩羅を好んで食べるのは、
ウナギ上りや上げモノで縁起をかつぐためなのだ。
かつて追証で責められた相場師が自宅の台所で、
一心不乱になって天麩羅を揚げ続けた話を聞いたことだある。
冗談のようだが実話なのである。
バブル崩壊後も多くの人々が夢の扉を開けに兜町にやってくる。