龍像寺
曹洞宗寺院の龍像寺は、淵源山と号します。龍像寺は、当地の地頭淵辺伊賀守が開基となり、七沢弘沢寺2世巨海(弘治3年1557年寂)が開山したといいます。慶安元年(1648)には江戸幕府より寺領12石の御朱印状を受領したといいます。
新編相模国風土記稿による龍像寺の縁起
(橋淵野辺村)龍像寺
浄源山と號す、曹洞宗(愛甲郡七澤村廣澤寺末)本寺二世、巨海を開山とす(弘治三年二月二十三日寂す、里老の傳には淵邊伊賀守、毒蛇を殺せし後蛇身を龍像権現と祀り、龍像・龍頭・龍尾の三寺を建立す、當寺其一にして二寺は廢せりと云ふ、開山巨海の時世を以て考れば年代合せず、寺記總て其傳を失ふ、又伊賀守の碑なりとて古碑一板を本堂に置けり、昭和元年十一月日、淵邊伊賀守と鐫る、後人の作爲に出しものなり)。本尊釋伽を安ず、第六世僧萬州(明暦二年寂す)堂宇を再建す、慶安元年九月寺領十二石の御朱印を賜ふ。
鐘楼。鐘は近世の鑄造なり。
白山社。
龍像権現社。淵邊伊賀守が蛇身を祀りし社と云傳ふ。
辨天社
岡野氏墓。大和守夫妻、越中融成入道江雪夫妻等の碑あり(□□の碑、清傳院知岩宗仁、天正十二三月七日、室梅林院薫窓妙香、天正十九十月十七日、江雪の碑、顯曾組考從五位下、故越州照光院傑翁凉英、慶長十四六月三日、室、圓珠院華心妙英、慶長十七十月十一日等の文を彫る)(新編相模国風土記稿)
平成さがみはら風土記稿による龍像寺の縁起
龍像寺は、JR横浜線古淵駅より北西へ700m、境川沿いにある曹洞宗寺院です。
『風土記稿』によると、弘沢寺(厚木市七沢)の末寺で、山号を浄源山(現在は淵源山)といい、釈迦如来を本尊としています。
また、開山は弘沢寺2世の巨海[弘治3年(1557)没]で、6世萬州の時に再建をし、慶安元年(1648)に12石の朱印地を与えられています。
同書所収の寺伝では、淵辺伊賀守が毒蛇(龍)を退治し、その蛇身を面巳って龍頭・龍像・龍尾の3寺を建立したとしています。後に3寺とも廃寺となり、唯一再建されたのが当寺であるというわけです。ちなみに龍の骨片と矢じりと伝えられるものが寺宝として保管されています。
また、淵辺伊賀守とは南北朝時代に当地の地頭であったとされる淵辺義博のことで、護良親王を奉殺した人物としても知られています(地域では親王を助けた人物として伝えられている)。
当寺の墓地には、江戸時代に当地を所領していた旗本岡野氏歴代の墓碑があります。明治時代、本寺でも寺小屋を継いで「淵博学舎」が開かれましたが、その最初の教鞭をとったのは岡野氏の末裔にあたる18世初白でした。(平成さがみはら風土記稿より)