人の行く裏に
道あり 花の山
日本の相場格言を代表するもので、
千利休の作と言われているこの格言は、
下の句「いずれを行くも 散らぬ間に行け」と対になることで、
相場の人気に囚われていると
真の相場に置き去りにされると説く。
相場の格言は他にも「人々西に走らば、我は東に向かう」(本間宗久)
や「相場は人気の裏を行く」などがあり、
これまで名人とよばれたほとんどの相場師は人気に逆らうことで生きてきた。
なぜなら、すべての要因を織り込んだものが値動きで人気はその末端に過ぎないからである。
私がこの句を千利休作と考えたいのは、
利休が生粋の堺商人だからである。
堺商人は戦国時代を南蛮貿易で生き抜いた海洋商人で、
利休の家は屋号を魚屋といい、
堺の豪商を束ねた網元の当主である。
信長から利休の影響力を承継した秀吉は、
大阪を商都にするために利休たち堺商人と
京都の伏見商人や河内の平野商人を大阪に集め、
彼らナニワ商人による街作りさせて天下の台所を築き上げた。
その経済を仕切ったのが各地の相場街で、
堂島の米相場では本間宗久も苦戦していることからみて、
おそらく宗久は堺商人からこの一句を学び、
秘伝として書き残したのだろう。
それから数百年後の船場で繊維相場の名人とよばれた田附政治郎も、
人気相場を甘く見て当時の相場に叩かれたことがある。
その田附は「私はこれまで相場は寂しくないと駄目だと思い
道連れがいないことを喜んでいたが、
今度ばかりはこんなに寂しい思いをしたことがない」
と嘆いたそうだ。
相場ぼ裏表は文字通り紙一重なので田附クラスの名人でも
相場の裏を張るのは難しいことなのだ。
今日ではこの格言を「人の行く裏に道あり・・・」と記しているが、
これは株式投資の大衆化に伴う表記で、
江戸時代から戦前までの指南書の多くが
「人の踏む裏に道あり・・・」と記している。
「人の踏む道」とは、
孟子の「仁は安宅なり、義は人の正路なり」に由来する仁義の道である。
その裏を行くのが「相場の王道」であるとこの一句は説いているのである。
また、利休の茶道は一期一会の精神を尊ぶことでも知られている。
仁義なき戦いゆえに一期一会を大切にする。
トレードも一期一会の精神で向き合うのがあるべき姿なのだろう。
誰もが知っているが、
ほとんどの人がその境地に至る前に市場から去っていく。
相場道は奥が深い。