鏡の中に見える自分は真実の自分ではありません
こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
自分の姿を見ることはできません。
鏡に映る姿は、あなたの本当の姿ではないのです。
そして、あなたは自分の姿を見る必要はないのです。
鏡に自分の姿を映してみるという行為は、人の目で
自分を見てみたいという事です。
自分が人にどう見られているのかを知りたいと思う
気持ちなのです。
その気持ちが良いとか悪いとか言っているのでは
ありません。
ただ、必要はないとお伝えしたいと思います。
鏡を見ることで自分を客観的に見ることはできるかも
しれません。
しかし、客観的に見るということは、自分を良い悪いで
判断するもとにもなるのです。
難しいですか?
人と比べることになります。
人が自分をどう思っているかという心配も起きてきます。
いつも自分は他人からどう見られているのかと
気になってしまいます。
私はいつも俯瞰してくださいと言います。
これは客観的に見てくださいと言っているのでは
ありません。
客観的というのは人の目で見るという事です。
俯瞰するというのは冷静になるという事です。
俯瞰は、冷静に自分の中を観て、感情に
巻き込まれないという事なのです。
これは似ているようで大きく違うのです。
客観的に自分を他人の目で見るということは
自分を世間の基準でジャッジするということになります。
そうなると俯瞰と反対に巻き込まれてしまうことも
出て来るのです。
誰かと比較して、こんな私はダメだ、あの人よりもいい
などと思って一喜一憂するのです。
それは感情に巻き込まれてしまいます。
鏡がなければ、自分の姿はわかりません。
人の姿は見えますが、自分の姿は分からないのです。
だから、人と比べることもなくなります。
人の目を気にすることもなくなるのです。
それは姿形だけではなく、考え方もそうなります。
人の目を気にして、人にいい評価をもらうことばかりを
考えるのではなく、自分がどうしたいかをまず考える
ことができるようになります。
外側の自分ではなく(人の評価を気にするのではなく)
自分の中から出て来る思考に素直になる事が
できるのです。
外側から見る自分で自分を評価するのではなく
自分の中から出て来る思考にフォーカスすることが
できるからです。
あなた達の社会では、人は自分の鏡という表現がありますが、
これは少し違うことになります。
人は自分の鏡という表現は、周りの環境を見てみれば
自分がどういう思考をしているかが分かりますという
意味で最初は使われていたのです。
良い悪いの評価ではなく、いまの自分の環境は自分で
創っているのだから、環境を見ればいま自分がどのような
思考をしているかが分かります・・という意味です。
鏡を見て自分の行いを正しましょう・・という事では
ないのです。
そのような考え方になると、鏡ばかりが気になって
どう映っているかばかりが気になって、自分の中を
しっかりと観ることができなくなってしまいます。
鏡の中に見える自分は真実の自分ではありません。
鏡によって見え方が違ってくるからです。
鏡に映る自分の姿は参考まででいいのです。
本当は鏡などいらないのです。
何もなければ、自分の中にフォーカス出来ます。
人と比べて喜んだり落ち込んだりすることもなくなります。
人の作った基準で自分を評価しなくてもよくなります。
鏡が無くなれば自由になれるのです。
表面ではなく、自分の中、自分の核で思考することが
出来るようになるからです。
鏡に映る自分を見て、自分を好きだとか、嫌いだとか
ジャッジしなくてもすむのです。
自分を中心にすることができるのです。
だから自由になれるのです。
外から自分を見てジャッジするのではなく
自分の中から出て来るものを大切にしてください。
そして、自分の思考を冷静に俯瞰していければ
感情などに巻き込まれることなく自由に過ごすことが
出来るようになります。
あなたに愛をこめてお伝えいたします。