【雷電神社】

雷電稲荷神社の創建年代は不詳ですが、源義家が奥州征伐の途中雷雨にあい、小祠前で休んでいる時、一匹の白狐が現れ、義家の前で三回頭を下げたところ、雷雨がたちまち止んだことから雷電神社と呼ばれるようになったと伝えられています。昭和3年に花園神社に合祀され、宗教法人としては消滅しましたが、現在も鳥居と祠が残されています。

新宿区の文化財による雷電稲荷神社の由緒

稲荷社。 境内左の方にあり雷電稲荷と云。牛込より引移せし也、愛宕秋葉権現相殿也。(御府内寺社備考天龍寺項より)

新宿区の文化財による雷電稲荷神社の由緒

天龍寺に隣接して雷電神社があるが、この神社は昭和3年4月に花園神社に合祀されたため、その旧地を示すものである。 この神社については、源義家が奥州征伐に行く途中、この付近ではげしい雷雨にあったため、小さな祠の前で休んでいると、一匹の白狐が現れ、義家の前で三回頭を下げたところ、雷雨がたちまち止んだので、義家は無事北進できた。その後、村人はこの小雨を雷電神社と呼ぶようになったという伝承がある。 雷電信仰は恐ろしい雷神を祀り、その被害からまぬがれようとするもので、各地に雷電神社が建てられている。 現在地にはわずかに不動尊の石像や力石があるだけである。また、この神社の前を鎌倉街道が通っていたともいわれているが、詳しいことは明らかでない。(新宿区の文化財より)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA