単立系寺院なので他の寺社とは雰囲気が違いました。この感じは是非訪れて感じて見て下さい。新進気鋭のアーティストの作品展を味わっている感覚を是非。
新編武蔵風土記稿による孝養寺の縁起 (山崎村)孝養寺 境内除地、八段三畝二十六歩、村の中央にあり、此邊の字を孝養寺平と云、古義真言宗、都筑郡岡上村東光院の末山なり、北崎山と號す、開山の事實年代等を傳へず、客殿四間半に五間、本尊大日木の坐像にして、長二尺許。(新編武蔵風土記稿より)
「町田市史」による孝養寺の縁起 孝養寺(山崎町) 所在地 町田市山崎町字孝養寺平。 宗派 古義真言宗豊山派。川崎市岡上東光院末。 山寺号 山崎山孝養寺。 開山 天文年中(一五三二~一五五四)と伝えるが開山者は不詳。はじめ明王院といったが、元禄年中孝養寺と改称したという。 本尊 大日如来、木座像長二尺。 本堂庫裡 元禄中(一六八八~一七〇三)建立したものを、天保八年(一八三七)に再建したが、大正一二年九月一日関東大震災で倒壊し、昭和一一年現在の本堂兼庫裡を再建した。四〇坪である。 孝養寺の現在と主張 孝養寺現住は稲津紀三師だが、師の所説によると、阿弥陀如来が理想的教主で、これを敷衍したものがインドでは釈迦、日本では聖徳太子なりとし、この二人を仏祖とし、昭和二六年宗教法人法に従って、岡上東光院から独立、単立寺院となった。そして、仏教の第一義を仏法の公布にありとし、竜樹空観、新唯織説の研究による一乗の教旨に立却し寺院運営をするという、仏教界においてはきわめて斬新な寺院を形成している。(「町田市史」より)