曹洞宗寺院の祥雲寺は、龍澤山と号します。祥雲寺は、寥堂秀廓和尚(永禄3年1560年寂)が開山となり大永6年(1526)に開山、江戸期には、幕府より寺領15石の御朱印状を拝領していた他、最乗寺の輪番を勤めていたといいます。境内の要所要所にある石像が見事な石使いの巧みなお寺と感じました。泳ぐ鯉にもこころ温まります。
祥雲寺(高ケ坂)
所在地 町田市高ケ坂字桑樹下。
宗派 曹洞宗。本山(高ケ坂)は相模国大住郡日向村石雲寺末であったが、今は越前、永平寺末としている。
山寺号 竜沢山祥雲寺。
開山 寥堂秀廓和尚(永禄三年六月一五日寂)。大永六年八月、小田原北条氏の武運長久のため、檀信徒の帰依を得て創立。北条氏虎印の朱印地寄進文書もあったが、享保の火災で焼失と伝う。本山石雲寺は相州(神奈川県)足柄上郡関本、最乗寺末のため、祥雲寺は古来八五年ごとに同寺輪番に当たる由緒がある。しかし、明治三年庚午(一八七〇)、高ケ坂村名主市川三右衛門の「高ケ坂村明細帳」には「寺庵二戸。此人別三人。祥雲寺三人」としてあるから、幕末には地方の小寺院として存立していたものとみられる。
境内地 七〇五坪。
朱印 寺領一五石。
本尊 本尊釈迦木立像。
本堂 間口八間、奥行八間と観音堂、四間に二間半のものがあったが、大正一二年(一九二三)九月一日関東大震災で共に倒壊。大正一三年再建して、今日に至り再び、本堂・庫裡・客殿等を新築し、昭和四九年落慶したのである。再建された本堂・庫裡等は左記のとおりである。
本堂 間口八間半、奥行八間。周囲に一四坪五合の渡廊あり。客殿、三八坪ニ合。二坪七合の玄関あり。庫裡は二階建一三坪七合。いずれも鉄筋コンクリート。本堂は入母屋造。なお、観音堂は旧本堂を同一境内に移築。間口六間、奥行五間。
観音堂 本尊は正観音木立像。長一尺五寸。行基作と伝う。昭和三四年東京都多摩丘陵調査によって平安中期像と認められた。この地方では「身代り観音」として知られており、伝説もあるが、これは伝説の項で叙述されている(民俗編第六章「民話と伝説」参照)。
鐘楼 九尺四方。鐘銘に文政八年(一八二五)鋳とある。そのころ鐘楼も建築か。
梵鐘 南無観世音菩薩。万人講中、武州多摩郡高ケ坂村竜沢山祥雲禅寺一五代願成代。文政八酉年と銘す。太平洋戦争に供出したが、昭和二二年三月、兵庫県尼崎市で発見され帰還した。これについてのエピソードもあるが、これはまた別の機会に詳記したい。(「町田市史」より)