【曹洞宗大蔵山安全寺】

町田市大蔵町のなだらかな傾斜面に位置し日当たり良好。明るい光差し込むあたたかいお寺です。曹洞宗寺院の安全寺は、大蔵山と号します。安全寺は、修廣寺2世で黒川西光寺を創建した孤岩伊俊和尚(嘉吉2年1442年寂)が開山したといいます。武相寅歳薬師如来霊場17番です。

新編武蔵風土記稿による安全寺の縁起

(大蔵村)安全寺 境内薬師免の内、小名中にあり、大蔵山と號す、曹洞宗、都筑郡片平村修廣寺末、開山伊俊嘉吉二年十一月二日示寂す、本堂九間に七間半、本尊地蔵、木の坐像長一尺ばか。 樓門。本堂の正面にあり、三間に二間南向なり、鐘の径二尺三寸、高四尺七寸、天明三年の銘文を彫る、又樓上に十六羅漢の木像を安置す。薬師堂。本堂の西にあり、薬師免とて八石の御朱印を賜へり、この薬師は木の立像にして、長一尺五寸なりと云、かたく秘して妄に人の拝することを許さず、堂内左右に十二神の像を安せり。(新編武蔵風土記稿より)

「町田市史」による安全寺の縁起

安全寺(大蔵町) 所在地 町田市大蔵町字中。 宗派 曹洞宗。片平修廣寺末。 山寺号 大蔵山安全寺。 開山 伊俊。嘉吉二年(一四四二)一一月二日示寂。寺の過去帳によると、正長・永享のころ(一四三〇年前後)、黒川西光寺孤岩和尚が開山すと。思うに正長・永享と嘉吉とはほとんど同時代だから同一人か。 本尊 地蔵、木座像、高一尺。 本堂 正面九間半。奥行七間半、入母屋木造瓦屋根。『風土記稿』の書かれた時代のものと推定される。 薬師堂 境内にあり、三間半四面、三尺の回廊三方にあって、向拝九尺に一間。木造。 本尊 薬師立像一尺五寸。ほかに日光・月光・十二神将等揃っている。 由来 隣地に「ヤクアト」とよぶ風光の地があり、昔はここにあって、源頼朝の寄進状があったと伝えるが、いまはない。しかし、付近の源太谷に兄義の遺跡があったし、義平が叔父先生義賢を打ち取ったのは「相模の口大蔵」と源平盛衰記に明記するから、必ずしも否定はできない。 朱印 八石。この薬師についていた。江戸時代には秘仏。 鐘後 九尺四面。梵鐘は昭和四八年二月新鋳のものがかかる。 庫裡 昭和四七年改築、木造二階建瓦葺。六五坪。 山門 冠木式四本柱組門、総欅、九尺に一間。瓦葺である。 前都議会議員加藤靖一墓はこの寺にある。(「町田市史」より)

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