町田市三輪町にある日蓮宗のお寺です。町田市の重要文化財がゴロゴロしている貴重な歴史遺産でした。大きな地震等で損壊する前に参拝出来てよかったです。妙福寺は、日億上人が明徳2年(1493)に創建、江戸時代には寺領5石の御朱印状を拝領したといいます。妙福寺は、諸堂宇を整え、東京都・町田市の文化財に指定されています。参拝の様子は下記をご覧ください。
新編武蔵風土記稿による妙福寺の縁起
(三輪村)妙福寺 字臺にあり、これも寺領五石の御朱印を賜へり、日蓮宗、荏原郡池上本門寺の末、長祐山と號す、本堂十間に七間半、本尊三寶を安す、其餘諸尊祖師鬼子母神等の像あり、開山詳ならず。 寺寶。 釋迦像一軀。日蓮の作なり、木の立像にして長三寸五分。 十界曼荼羅一幅。是も日蓮の筆なり。 祖師堂。本堂に向て左にあり、三間に四間、日蓮の木像長三尺。 鐘楼。本堂の正面にあり、二間四方、鐘は天和三年に鋳しもの也。 番神堂。鐘楼堂の外にあり、二間に三間、三十番神は小像にして長八寸許。 惣門。柱間九尺濡門なり。(新編武蔵風土記稿より)
「町田市史」による妙福寺の縁起
妙福寺(三輪町) 所在地 町田市三輪町字台。 宗派 日蓮宗。池上本門寺末。 山寺号 長祐山妙福寺。 開山 日億、明応二年(一四九三)開山という。○三宝諸尊。 朱印 五石、三十番神領として寄せられた。 本堂 万治二年(一六五九)本堂再建せられたが、寛政三年(一七九一)再々建、文政一一年営営繕、昭和四四年に草屋根を現状の青銅に葺替えた。一〇間に七間半、向拝二間に九尺で寄棟木造りである。 祖師堂 寛文一二年(一六七二)池上本門寺祖師堂を移建した。桃山時代様式で、本門寺古建築の遺構。間口三間、奥行三間半、五尺の廊を四面にめぐらす。屋根青銅。前入母屋、背寄棟。中に万治二年の厨子に三尺一寸の祖師像を安置する。この祖師像は、寛文一二年祖師堂移築のおり、堂と共に安置された像が日法作と判明したため、池上本門寺の前像と延宝六年一〇月交換されたもの。そしてこの祖師堂は昭和三六年一月三一日都重宝に指定され、昭和四四年、今日のごとく復元されたものである。 山門・鐘楼門 二間四面。六本の柱をもって支えられる。通路に両扉を具う。屋根青銅。梵鐘は鋳匠香取正彦鋳。「長祐山妙福寺、南無妙法蓮華経、四十二世日慎代檀徒一同、昭和三十八年十一月七日」と刻めるだけのもの。 庫裡 渡廊とも一〇二坪すべて白木木造建築。昭和四六年一二月竣工した。 総門 五尺のクラシックな石橋を渡り、一二の石階を登ると、これまた、古い高麗門が立っている。幅二間の通路に角柱、亜鉛葺の屋根門を、内側へ一間ずつの屋根の支えで、持たせている。妙福寺は町田市有数の塔堂具備の寺院。町田市としての文化財を多数蔵した寺といってよい。(「町田市史」より)
境内掲示による妙福寺の縁起
当寺は見延山久遠寺を総本山とする日蓮宗で、明徳二年(一四九三)日億上人によって開かれ、山号を長祐山という。池上本門寺・鎌倉妙本寺両山の旧末寺である。 旧三輪村は、武相六ヶ村の一村で、池上本門寺宗祖の御服を献上する武相御召講などが存する信仰篤き地である。 境内は約四千坪におよび、山門・鐘楼門・祖師堂など諸堂宇を今なおととのえている寺である。(境内掲示より)
妙福寺鐘楼門
妙福寺鐘楼門は、上層に鐘を釣った一間楼門で、棟札より一七四六年(延享三年)に建てられたことがわかる。 この門の建立願主は当寺十九世円利院日宏聖人で、また建立にあたっては上三輪村甲子講一結列衆九名と上麻生村甲子講一結列衆十名の助力があった。大工棟梁は岡上村惣助、細工頭領は相州津久井領四良兵衛であった。 当門は市域でただ一つの鐘楼門である。絵様刳形の性質は江戸時代後期の性質を示し、この時代の建物としては全体の比例がよく整っている。なお、屋根はもと茅葺で、近年に高欄を修理したが当所の形式に倣っている。(町田市教育委員系掲示より)
妙福寺本堂
妙福寺本堂は様式上、江戸時代後期の改建とみられ、一七八六年(天明六年)の曼荼羅二面に、客殿改建に際し書き改めた旨が記されているから、この時の再建であろう。 平面は正面に幅九尺、両側面に幅六尺の広縁を付し、サ字形に六間を配した方丈形式の堂である。 障子は一八四五年(弘化二年)に新造されたものである。正面の向拝は後世の増築になり、また屋根はもと茅葺で、近年に銅板で葺替えた。全体に改造が少なく、保存状態も良好である。 当本堂は市域の罰末期における方丈形式本堂の代表例で、内部は木割が太く、また室中間と仏間境の虹梁両端に施した絵様刳形も調子がよい。(町田市教育委員系掲示より)
妙福寺祖師堂
この祖師堂は、当寺の記録によると、寛文一二年(一六七二)に大田区の池上本門寺の祖師堂を移築してきたものといいます。天井や屋根は後補のものですが、軸部などは桃山時代の様式を伝え、また本門寺の古建築の遺構としても貴重です。 平面は、正面一間を外陣とし、後ろの三間四方の逸失を内陣とします。内陣の奥に須弥壇を置き、その上に厨子を安置します。 附指定の厨子は、間口一間、屋根は入母屋造唐破風付で板葺です。万治二年(一六五九)頃制作され、祖師堂とともに本門寺から譲り受けたものです。(東京都教育委員会掲示より)
妙福寺高麗門
妙福寺山門は桁行一間の高麗門で、正面桁行より背面桁行を大きくして、末広がりに柱を配る。親は白の外側には、築地塀の取付いた痕跡がある。 軒廻りは出桁造りの板葺で、組物を用いず、絵様刳形もなく、全体に簡素な形式である。 建立年代については、様式細部からの推定ができないが、寺伝には一八五四年(嘉永七年)頃とある。(町田市教育委員系掲示より)