【日蓮宗方運山青柳寺】相模原市南区上鶴間本町

青柳寺は天正11年(1583年)に創建された伝統仏教日蓮宗のお寺です。 明応8年(1499年)に総本山身延山久遠寺第11世法主、行学院日朝上人により結ばれた小庵「清龍寺」が起源となり、室町後期、足利義昭に仕える武士である渋谷越後守義重が夢のお告げによってこの地に寺院創建を志し、天正11年律正院日題上人を開山に「青柳寺」が創建されました。武相困民党事件の舞台。自由民権運動の残波を色濃く残すお寺でした。

https://youtu.be/39nXyBdqvoo

https://youtu.be/SV4f6uufaYY

明治17(1884)年7月31日、上鶴間とその周辺の農民300人は、金融会社の負債問題を協議するため、当青柳寺の境内に集まった。この集会こそその後数ヶ月にわたって武相の山野をゆるがした、武相困民党のさきがけをなすものであった。つづく8月10日には、上鶴間村を先頭に数千人の農民が御殿峠に蜂起し、武相7郡150村に及び大組織に発展して行った。  この困民党事件は、先行する自由民権運動の影響の下で、借金地獄からの脱出と生存の自由を求めて立ち上がった運動であった。しかしこの壮大な運動も翌18年1月には権力の弾圧の前に力尽きて潰滅した。  ここに、武相困民党百周年を記念し、事件の概要と指導者の名を勒してその事蹟を伝える。

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