町田市図師の熊野神社を参拝した時の動画です。非常に清々しい気持ちの良い神社でした。
町田市史(上巻)から要約 熊野信仰は紀伊の熊野三山、すなわち本宮・新宮・那智社の神々を対象とする信仰で、平安時代以降熊野権現と称して、修験道の信仰対象になり、熊野詣での風習は貴族から上流武士におよび、室町時代には地侍・名主層に広まった。この熊野信仰は天台宗系の修験者の布教活動に負うところが大きかった。修験者は熊野の護符である牛王宝印(ごおうほういん)の頒布などを行い熊野権現の霊験を宣伝し熊野参詣の先導をする先達となった。 講中の信徒は先達の案内で熊野にいたり、それぞれ特定の御師の宿坊に泊まった。御師は祈祷師であると共に宿坊の経営者で、各地の先達を通じて信徒と師檀関係を結び信徒はそれぞれの御師の檀那になった。こうした熊野信仰の普及と共に各地に熊野神社が普及し熊野神社が勧請されていった。市内の熊野神社は、いずれも勧請の時代を伝えていないが、室町時代に於ける熊野信仰・熊野参詣に関連しているものと思う。
町田市史(下巻から要約) 創立の年代は詳らかでない。貞享4年(1687)2月、熊野権現領として畑一反二畝四歩の除地があり、また天神領畑九畝十歩と神明領の畑二畝四歩と除地分があった。 文久2年(1862)から明治9年(1876)、10年以上を要して社殿は再建された。明治44年、南の稲荷社、東の天満社・若宮八幡社、東北の熊野社、中央の神明社を、また大正5年には白山社を合祀した。大正5年に村社に列せられた。 祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大神、素戔嗚尊、宇迦之魂神、応神天皇、菅原道真を奉斎している。 例祭日は毎年9月3日
ネットからの情報 「図師熊野神社読本」によれば、創建年代不詳。宿にあった熊野神社に、神明社、熊野社、天満社、稲荷社、若宮八幡社、それに白山谷戸の白山社(半沢)を合祀しています。 「新編武蔵風土記稿」より、図師の地名の由来について。白山社の修理を別当の僧が領主へ頼みに行き、その場所を地図にして見せた所、「地図を師として、まだ行ったことの無い場所の風景を知る事ができた。」と、その僧の聡明を賞賛し、図師の法印として帰依し、白山領を寄付し、そこを図師領と呼んだことからという。町田風土記(森山兼光著)から 図師の神社:武蔵風土記稿には白山・稲荷・熊野・神明・山王・若宮八幡の6社が記され、 明治元年の「村差出明細書上帳」によれば白山社が新良山神社に社名を変更(年代不詳)しています。 明治44年に稲荷・神明・若宮八幡・天満の4社が「熊野神社」に合祀され、更に大正5年に新良山神社も合祀されました。