三輪椙山神社は数ある杉山神社のなかでも唯一椙山の字をあてられた稀有な神社でした。歴史も古く、元慶元年(八七七)大和国城上郡三輪の里の三輪神社によく似ている地に勧請したとの伝承があるといいます。山の中腹に位置し良い気が充満しておりました。樹齢四、五百年の木がゴロゴロしています。
参拝の様子は下記をご覧ください。
新編武蔵風土記稿による三輪椙山神社の由緒 (三輪村)杉山社 字二ももにあり、これも高蔵寺の持にして御朱印地のつづきなり、神體は鏡の如く圓なる状にて、径一尺五寸ばかりの鋳物なり、中央に不動の像を鋳出して上に悉曇あり、その左右に日月の形ありしるして云、奉掛武州多磨之郡下三輪惣鎮守于時寛文十一年亥年別當高蔵寺云々、さればその頃の勧請なるにや、社は宮作にして覆屋あり、前に鳥居をたつ、例祭九月十九日なり。 末社。 稲荷社、わづかなる祠なり。 山王社、これも同じ。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による三輪椙山神社の由緒
元慶元年(八七七)大和国城上郡三輪の里の三輪神社によく似ている地に勧請したとの伝承がある。神鏡の銘に「武州多摩郡三輪村、寛文四年辰歳正月大吉高蔵寺治工西村和泉守作」とある。現社殿は昭和四十七年十月二十八日の造営である。(東京都神社名鑑より)
「町田市史」による三輪椙山神社の由緒
椙山神社(三輪) 元慶元年(八七七〉のころ、大和国城上郡三輪里大物主神社(奈良県磯城郡大三輪町)の孤峰峻抜鬱蒼たる三輪神山によくにているところからニモモ(三諸山)のこの地に勧請したとの伝承がある。 神鏡のご神体には、「武州多摩郡三輪村、寛文四甲辰歳正月大吉日、別当高蔵寺冶工西村和泉守作」と銘のある不動明王の掛仏があり、内陣の天上板には水墨画による舟橋菅原有策の筆による神竜の画がある。現在の社殿は昭和四七年一〇二八日の新築のものである。 永和年間(一三七五~八)または永享五年(一四三三、五四〇年ほど前)に著したと伝えられる『安居院神道集』には「武蔵六所宮(府中市大国魂神社)の六宮は椙山明神と申す、本地仏は大聖不動明王是也」とあり古い社である。 祭神は日本武尊、大物主命を奉斎したのである。 例祭日は毎年九月二八日である。 境内坪数一五一〇坪余り。町田市三輪町一六一九番地に鎮座している。(「町田市史」より)
境内掲示による三輪椙山神社の由緒
当社は「古事記」「日本書紀」にも記されている有名な大和国の三輪の里(現奈良県磯城郡大三輪町)に鎮座する大神三輪神社の御神体である秀麗な三輪山に、この附近の山容がよく似ているところから元慶元年(八七七年)当地に勧請されたとの伝承がある。 御神体は不動明王が抽出されている御鏡であって裏面に下三輪総鎮守寛文四年(一六六四)大吉と刻まれている。 特に社号「椙山」はめずらしく武相地区に七十二の「杉山社」があるが、当社の椙(國字)は唯一のものである。 総氏子中により奉納された文政二年九月吉祥日の銘がある鰐口と嘉永四年(一八五一)建立の江戸時代で遺存しているものとしては近隣にあまり例のない石造大鳥居の奉額に「椙山大明神」と記されている等、まことに古い貴重な歴史を物語っている。 昭和二十年頃までは広い境内に樹齢五六百年を経た杉山社の巨木の鬱蒼として椙山の社、鎮守の森そのもののたたずまいであった。 明治末年下三輪大戸にあった大戸明神社が合祀された。(境内掲示より)