「何かいいことがあったら幸せ」なのではありません
「何かいいことがあったから幸せ」なのだとしたら、
いいことがない限り幸せになれなくなってしまうよね。
本当に幸せな人って、いいことがあったすごく幸せだけど、
いいことがなくても幸せで、悪いことがあってもそれを幸せに変えてしまえる人です。
日常のちょっとしたことでも、幸せを感じることっていっぱいあるんだよ。
近所の高Ⓦンを散歩するのでも、「ここ自分の庭なんだ。一人で管理すると大変だから、
国に貸して管理してもらい、その代わりほかの人も使えるようにしてもらっているんだ」って思えば、豊かな気持ちになれるよね。
私はコンビニを自分の家の冷蔵庫だと思ってるし、
吉野家へ牛丼を食べに行くときは「今日のは料亭吉野にしよう」っていうんです。(笑)
だって、そのほうが楽しいから。
お高いお金出して旅行をしなくても、
日本は自然が豊富だから、少し足を伸ばせば美しい自然を見ることができるんです。
幸せってその気になって探せば、近くにいっぱいあるんだよね。
幸せをモノや結果に求めたら限りがあるけど、
考え方や感じ方には求めれば、私たちは限りなく幸せになれるんです。
というか、限りあるのみ幸せを求めるから不幸が生まれるんだよ。
例えば何かの試合で勝つことだけが幸せだとすれば、
敗者はみんな不幸になってしまうよね。
でも、少し考え方を変えて、負けから自分の未熟さを知り、
その未熟な部分を成長させれば、今よりも幸せになることができるんです。
幸せも自分一人で独占したら、
ひとりの幸せでしかないけど、誰かと分け合えば幸せは倍増し、
仲間と共有したらみんなで幸せになれるよね。
限りあるものに幸せを求めると奪い合いになって、
この世が地獄のようになってしまいます。
逆に幸せは分け合って、共有して、みんなで増やしていけば、
この世を天国にすることだってできるんです。